ハミルトン力学系への招待
伊藤 秀一(東工大・理)
天体力学(celestial mechanics)はニュートンの運動法則によって記述され
る
天体の運動を研究対象とする学問である.
それはケプラー以来の古典力学の華であるとともに,
とくに19世紀はじめまでは数学と一体になって発展し(たとえばガウスは
ゲッティンゲンの天文台長でもあった),その後もポアンカレにいたるま
で,
数学に対して最も大きな影響を及ぼした分野の一つであろう.
そして今回取りあげる,力学系,シンプレクティック幾何学,可積分系
といった現代の研究分野も,もとを辿れば古典力学とくに天体力学
の問題が関っていることが多い.
ニュートンは「プリンキピア」(1687年出版)の中で,
ケプラーの法則から惑星が太陽からの距離の2乗に反比例する力を受ける
ことを証明し,その後ベルヌーイやオイラーらによって微積分法が発展する
に
つれて,力学の取り扱いは微分方程式を用いた「解析的」なものへと変貌し
ていく.
とくにラグランジュは,ニュートンの運動方程式を,
配位空間(質点系の位置を表す空間)の座標の取り方によらない,今日
オイラー・ラグランジュ方程式と呼ばれる方程式として書き表し,運動方程
式の
取り扱いに進歩をもたらした.ラグランジュの著作「解析力学」
が出版されたのはプリンキピアから約100年後の1788年である.
さらに19世紀前半には,ハミルトンやポアソン,ヤコビら
によって力学の理論形式は整備され,
今日「解析力学」と呼ばれる分野の基礎ができたといえる.
ハミルトンは幾何光学に関連した研究からハミルトン--ヤコビ方程式
に到達し,一方ヤコビはそれを整備し,
正準変換や母関数の概念を導入するとともに,
ハミルトン--ヤコビ方程式を用いたケプラー問題や
楕円面上の測地線の運動の求積などを行った.
その研究は楕円関数の理論の発展などとも相まって,「古典解析」
の大きな流れを形成したといえよう.
とくに今日ハミルトン系と呼ばれる「ハミルトンの正準方程式」
(これはヤコビの命名である)は,
相空間(配位空間×運動量の空間)の上の座標変換(正準変換)で不変であ
り,
シンプレクティック幾何の萌芽もこの頃には現れたといえる.
このような力学理論の進歩にもかかわらず,
天体力学の難問「3体問題」は未解決のまま残され,
その進展には19世紀末のポアンカレの研究まで待たなければならなかった.
ポアンカレは,3体問題が求積法では解ける見込みがないこと,
さらには今日「カオス」と呼ばれる現象の原型(ホモクリニック軌道)を
発見し,それらの研究を含む著作「天体力学における新しい方法」(全3
巻)は
1892年から1899年にかけて出版されている.
ポアンカレは,それまでの求積法に代表されるような「解析的」手法に比べ
て,
周期解の存在と Twist 写像の不動点定理を結び付ける,といった「幾何的
な」手法
を導入し微分方程式の解の定性的研究を生んだが,
その研究を育んだのは制限3体問題という天体力学における典型的問題
だったのである.
その研究は力学系理論を創始するとともに,
その後の発展に決定的な影響を与えている.
今回の私の話しでは,今述べたようなケプラーから始まりポアンカレに至る
天体力学あるいは一般の古典力学をめぐる数学の研究の流れを
第1部で辿り,それらを現代の視点から眺めてみたい.そして
第2部では,摂動論とくにポアンカレが力学の基本問題と呼んだ「可積分系
の摂動論」
(制限3体問題はその典型例である)について,
コルモゴロフ--アーノルド--モーザー(KAM)理論の概要とそれに付随した
様々な問題についてお話したい.
参考文献
F. Diacu and P. Holmes : Celestial Encounters -- The origins
of Chaos
and Stability --, Princeton Univ. Press, 1996.
J. Moser : Stable and Random Motions in Dynamical Systems,
Annals of Math. Studies 77, Princeton Univ. Press. 1973.
齋藤利弥 : 解析力学,至文堂,1964.
伊藤秀一 : 常微分方程式と解析力学,共立出版,1998.
ポアンカレ-バーコフの不動点定理からアーノルド予想へ
小野 薫(北大・理)
天体力学の問題から派生した Poincare-Birkhoff の不動点定理と
それが一つの出発点となった symplectic topology、特に Hamilton 系の
周期解の存在についていくつかの話題を紹介する予定です。
Poincare-Birkhoff の不動点定理とは、円環領域の面積、向きを保つ同相写
像が、twist
条件と呼ばれるものを満たすとき、少なくとも二つの不動点を持つというも
のです。
恒等写像に近い場合は、generating function
と呼ばれる関数の臨界点の話に帰着されます。
こうした考え方は、更に一般化できて、余接束の symplectic 幾何学の基本
的道具と
なっています。また、これは、Hamilton 系の action functional と呼ばれ
るものの
有限次元近似を与えています。一般の空間で考える時には、こうした近似を
せずに
無限次元でものを考えることになります。今回の話では、余り一般の場合は
扱わない
積りです。余接束あるいは、 symplectic vector space の中でも面白い話が
あることを
紹介したいと考えています。
コワレフスカヤの夢 - 積分可能性と解の一価性の接点
吉田 春夫(国立天文台)
自由度nのHamilton力学系はn個の包合的な第一積分を許容する
ときに積分可能(可積分)と呼ばれる.積分可能系の解は一般に
準周期的となりカオスは出現しえない.そこで具体的に与えられた
系が積分可能か否かを判定することはHamilton力学系の最も基本的
な問題の一つであるはずであるが,全く未解決の問題である.
もちろん最終的な判定条件そのもの自身,存在が保証されている
わけではない.しかるに近年この方向でめざましい発展が見られた.
そこでこの判定条件の候補として期待されているのが特異点解析
あるいはPainlevé解析と呼ばれているものであり,前世紀末
1888年のコワレフスカヤの研究に端を発する.
積分可能系としてのコワレフスカヤのコマの発見は,Hamilton系
の積分可能性と解の複素時間平面における一価性という解析的な
性質との隠れた関係の存在を示唆した.非線形の常微分方程式は
一般に解の複素時間平面に特異点を持つ.多くの具体的な例題は
この特異点の性質と系の積分可能性との間にある隠された関係
の存在を示唆する.定理という形での正当化が十分なされないまま,
この特異点解析の「特異点は極のみ」という要請は既存の多くの
積分可能系を特徴づけ,また新たな積分可能系を発見するのに
役立ってきた.
本講演の前半ではコワレフスカヤのコマの発見に至る歴史的事実
から始め特異点解析が有効に働く具体例を列挙する.後半では
この経験的な特異点解析を正当化する試みを幾つか紹介することに
したい.最新のものでは線形常微分方程式に対するGalois理論と
位置づけられるPicard-Vessiot理論の非線形Hamilton系版
(Morales-Ramis, 1997)にGaussの超幾何方程式の求積による
可解性条件を与えた木村俊房の定理(1969)を適用して得られた
結果がある.
参考文献
大貫義郎・吉田春夫,岩波講座現代の物理学1・力学,岩波書店
(1994)
吉田春夫,コワレフスカヤのコマ,数理科学1981年1月号
Last Modified :
Mar 12, 1913 : 21:13